私は自分の外見が大嫌いでした。
足は細くないし、目は大きくないし、色黒だし…と、自分の嫌いなところなら次から次へと言えてしまうほど自分の容姿が嫌いだったんです。
写真写りが悪いので、父親にカメラを向けられると過剰に嫌がって悲しい思いをさせてしまったことも・・・。
「なぜ私はこんなにブスなの?」
見た目に対して一番敏感だった高校生の頃、私は少女時代やWonder Girls、After Schoolといった韓国のガールズグループにハマりました。
当時は今と違って「K-POPが好き」なんて言うと笑われることもあったので、教室の隅で親友と2人でこっそりとミュージックビデオやバラエティ動画を見ていました。
(特に好きだったのは少女時代。待ち受け画面はもちろん少女時代だったし、メンバー全員の写真を切り取って貼り付けたノートまで作るほどファンだった笑)
日本の外にある新しい文化を知ることはとても刺激的でしたが、その一方で彼女たちと比べては「ああ、なんて自分はブスなんだろう…」と落ち込むこともありました。
画面の先で歌って踊って愛嬌を振りまく女の子たちはみんな自分と同じアジア人なのに顔は整っていて手足はすらりと長くてモデルのようにスタイル抜群。しかもそれは少女時代に限ったことではなく、他のグループの子たちもみんなそう。
これが美の基準だと思い込んでいたので自己否定的な感情は日々消えることなく、自分が欠陥品のように感じてしまうのです。
こうした韓国のカルチャーは私の美の価値観に大きな影響を与えました。
自撮りを撮って自分と向き合う
写真を撮られることが嫌いでコンプレックスだらけだった私が自分のことを少しだけ好きになるきっかけを与えてくれたのは、意外なことに “自撮り” でした。
自撮りといえば、ナルシストなイメージがありますよね。けれど、最近は自意識過剰な人だけのものというわけでもなくなってきているように感じます。
なぜなら今ではSNSで自撮り写真を見ない日なんてないし、セルフィーを使ったビジネスやサービス、National Selfie Day(セルフィーの日)だってあるから。

インスタで流れてくるたくさんのセルフィーを見ていると、なんだか自分もやってみようかなという気持ちになってくる。
いつもより丁寧にメイクして、日当たりの良い部屋の一角ではじめての自撮りを撮ってみた。
自分の顔としっかり向き合ったことがなかった私には、自分にカメラを向けてポーズを決めることが恥ずかしくて違和感でしかなかったけれど、たとえ自己満であっても角度やライティングをコントロールして写真を撮るのは新鮮な体験でした。
もうちょっとこっちを向いた方がいいかな?口は開けて笑った方がいい?と試行錯誤しながら何枚か撮影しているうちに、この角度から撮るとフェイスラインがきれいに見えるんだ〜とか、笑った顔も悪くないなとかこれまで気づけなかった自分の良いところが見えてきたのです。
自撮りが教えてくれたこと
自撮りは写り方をコントロールできます。笑ってもいいしクールにすましても悲しそうにしてもいいし、ばっちりメイクだってすっぴんだっていい。明るさや角度も自由に決められる。どのように写りたいかを自分に尋ねて選択し個性を表現するプロセスは自分を知ることでもあったのです。
こうして様々なアングルから自分を見つめることで少しずつ自己肯定できるようになってからは、「私にとっての美の基準って何だろう?」と自問するようになりました。
テレビやSNSの人気者たちはみんな似ていて同じように見えますよね。
だから自分も同じ見た目にならなければいけないというプレッシャーを感じてしまいます。
私はずっとその偏った美の基準で自分は醜いと決めつけていました。でも、セルフィーのおかげでバイアスを外し、メディアが作った基準に自分のアイデンティティを合わせる必要はないと気づけたのです。
そして他人が自分のことを褒めてくれた時、素直に「ありがとう」と思えるようになりました。それは、なぜ褒めてくれるのか理解できるようになったから。今までは褒め言葉をもらっても「絶対お世辞に決まってる」とか「ありえない」とネガティブに捉えがちだったので、私にとっては大きな進歩です。
「ナルシスト」「自惚れ」「痛い」などと言われることが多い自撮りは、自分を知るための手段にもなる。これは意外な発見でした。
みんなは自撮りすることってある?
画面に映った自分の姿を見てどんなことを感じる?